藤井聡太竜王名人が遂に八冠を制覇した。弱冠21歳。
これは羽生善治九段が25歳で七冠制覇をしたスピードを大きく上回っている。
竜王・名人・王位・叡王・王座・棋王・王将・棋聖の8つのタイトルが同時に一人の手に収まった・・・・・・というだけではない。
藤井聡太はこの八冠に加えて、昨年度は参加可能な全ての一般棋戦で優勝するという、前代未聞の偉業を成し遂げたのだ。
つまり現在、藤井聡太は藤井竜王名人王位叡王王座棋王王将棋聖朝日杯選手権者銀河NHK杯選手権者JT杯覇者なのだ。
もはや『何かの大会に優勝する』という目標は全て達した。
あとはたとえば勝率100%(1年間で1度も負けない)とか、そういうレベルの挑戦になる。ゲーム配信でいえばタイムアタックのようなものだろうか。
なぜ、藤井聡太はこんなにも負けないのか?
どうして八冠全冠制覇などという現象が10101日ぶりに実現したのか?
その謎を解き明かすためにまず、羽生善治の七冠全冠制覇について将棋界がどのように総括を行ったのかを振り返ってみたい。
『渡辺明の思考』という本がある。
読者の質問を集めて、その質問に渡辺明九段(当時30歳)が答えるという本だ。
聞き手を観戦記者の後藤元気さん(渡辺の兄弟弟子)がつとめる気安さから、質問の内容もかなり踏み込んだものが多い。
ちなみに『りゅうおうのおしごと!』を開始する前の私の質問も収録されており、その返答は創作の役に立ってくれたのだが……今はその件はどうでもいい。
この本の中に、『全冠制覇』という現象に対する、渡辺の率直な言葉が残されている。
もちろん藤井聡太が出現する遙か前の、である。
以下に引用しよう。
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「羽生世代として生まれていたら、羽生さんの七冠を阻止していたと思いますか?」
渡辺 そっちか。それはできないんじゃないの。
――意外な即答ですが。
渡辺 わからないんですよ。あの頃の、羽生世代(森内、佐藤康、郷田など)に加えて、谷川先生や森下さんが上位を占めていた時代のからくりは、外から見ているだけではわからないです。
――からくり?
渡辺 あのとき羽生さんが七冠を制覇しましたよね。僕も非常に印象に残っています。でもその後に森内さんや佐藤康さんはタイトルを奪った。七冠を阻止できなかったのに盛り返した。そのからくりがわからない。
――七冠を制覇するくらいだから、突出した力があったはずなのに。
渡辺 そう、七冠達成前と達成後の力関係がわからないんです。
――言われてみればそうですね。
渡辺 七冠達成のあと、羽生さんは次々にタイトルを失いました。一番悪いときには王座一冠まで後退したわけですよ。それだけタイトルを独占していた人が、一気に失うなんて。
――七冠達成が奇跡的な巡り合わせだっただけで、その後の取ったり取られたりが自然なのか。それとも七冠達成時が棋力、体力ともに最高到達点で、徐々に力が落ちていっているのか。
渡辺 しかし2014年現在の羽生さんを考えると、力が衰えたとも思えない。
(略)
渡辺 最近10年は二冠、三冠以上をキープしていますが、当時の羽生さんは荒波だったと。一冠まで落ちた後は安定しているイメージですね。あのときだけ何かあったのかなぁ。逆に七冠のときには何があったのか。知りたいですね。
――知りたいです。
渡辺 僕はそういうところにズバッと切り込んでもらいたいわけですよ、将棋ジャーナリズムってやつがさぁ!
――今となっては時期を逸した感もありますね。
渡辺 まあそうかもしれないね。
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この本が出てから9年で、全冠制覇が実現した。
9年前の段階でも『なぜ羽生善治が七冠制覇できたのか?』という疑問(に加えて、その後すぐ失冠した)の明確な答えが出ていなかったということになる。
そして観戦記者の後藤さんも「時期を逸した」という理由で、その答えを探ろうとはしなかった。
この本が出た当時、渡辺は三冠。羽生と2人で7つのタイトルを分け合うような状態が続いていた。対戦成績もほぼ互角で、つまり渡辺と羽生は同じ力を持っている。
それなのに渡辺は、羽生の七冠を阻止できないだろうと即答した。
つまり全冠制覇という現象には、実力以外の何かが作用していると渡辺は考えており、その「からくり」は、外から見ているだけではわからないということなのだろう。
では、今回の全冠制覇で、渡辺はその「からくり」を解き明かすことができたのか?
今回の八冠制覇で、渡辺は藤井の初タイトルとなった棋聖を皮切りに、王将、棋王、名人と実に4つのタイトルを明け渡した。藤井八冠の半分は渡辺明でできている。
「それはできないんじゃないの」を自分自身が証明してしまった形になった。あの発言の際は、まさかそういう役回りが自分に回ってくるとは思っていなかっただろうが……。
その渡辺は最後に保持していた名人失冠後、藤井のことをどう評しているのか?
『将棋世界』2023年9月号に興味深い渡辺の発言がある。
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僕自身、対藤井戦においては、つい自爆してしまうような負け方もありました。
思えば「羽生マジック」も相手の自滅を引き起こすという側面はあったのだと思います。
相手をそういうおかしな精神状態に追い込めるのは、羽生九段と藤井王位の2人だけが到達した境地ですね。
トッププロでも圧倒的に勝つ人でないと、相手は信用してくれません。
僕は最大値が三冠ですけれど、その程度では相手は全然信用してくれない世界なんですよ。
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渡辺のこの発言は、実際に羽生・藤井の両者とタイトル戦で刃を交えた者の意見として非常に説得力がある。
八冠制覇の最後の1冠となった王座戦で、永瀬拓矢九段は第3局、第4局と立て続けに終盤でほぼ必勝の態勢を築きつつも敗れている。もちろん、藤井が敗勢の中でも非常に難しい局面を相手に突きつけたからこその逆転だったのだろうが・・・・・・。
だが、この2局の結果がもし逆だったら、八冠制覇はならず、逆に永瀬が名誉王座の称号を得ていた。
藤井が全盛期の羽生と同じように「相手をおかしな精神状態に追い込める」ようになったため、同様の偉業を達成することができたのだろうか?
これについては今回の王座戦の直前に、棋聖・王位のダブルタイトル戦を藤井と行った佐々木大地七段も、師匠・深浦康市九段との対談で言及している。(『将棋世界』2023年11月号)
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深浦 棋聖戦第4局みたいに最終盤で☗7三香なんていう思いがけない絶妙手が落ちていたりすることもあるわけなんだから、藤井さんでも見つけられないようなそういうイレギュラーな好手をこちらが拾えるかっていう要素も大きいよね。
佐々木 踏み込んだその先に何かある予感はしたんですけど、読み切れませんでした。同じ局面で、露骨に☗6三角と打ち込む手段も有望だったようなんですが。
深浦 谷川さんや羽生さんは、そういう手がたとえ落ちていても相手に気づかせない、信用で勝っていたところがありましたけど、藤井さんもそうなんですね。
(略)
深浦 藤井さんと番勝負を戦ったことのない人間にはわからない境地に、大地は達したんだろうね。圧倒的な強者との真剣勝負だからこその自滅・・・・・・。自分も最初は何もできないまま負けた。それを考えれば大地は上出来だよ。
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深浦は「殴り合いをすれば羽生さんに勝てる」と発言した伝説を持つ。圧倒的強者に対峙して勝つためには、それくらい自分に自信を持たなければならないという決意を端的に表したエピソードだ。そして羽生を相手に35歳で王位のタイトルを奪った。
深浦の兄弟子である森下卓九段は、かつて羽生に幾度も挑戦したがタイトルを奪うに至らず『無冠の帝王』と呼ばれた。
その森下も、羽生が全冠制覇した際、お祝い気分にわく中で感想を求められ「棋士として屈辱以外の何物でもない」という名言を残した。物腰柔らかな森下からは想像できない激しい言葉だが、これも己を鼓舞していたのだと思われる。
では、藤井に対して、競争相手であるプロ棋士たちはどのような気持ちで対峙しているのだろう?
藤井聡太を前にして自分を信じることはどれほど難しいのだろう?
『将棋世界』2023年8月号では、名人を連続で三期獲得した佐藤天彦九段が、藤井名人(七冠)誕生に際して「戦う立場の棋士としてどういう感想をお持ちでしょうか」という質問にこう答えている。
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「七冠を達成されたことは望ましくはないかもしれないけど、致し方なしという感じですね」
「やっぱり渡辺さんや豊島さんといった研究が深い超一流棋士が練りに練った作戦で挑んで負かされたわけです。藤井さんにここまでの圧倒的な結果を出されてしまうと、現状で勝てないのは致し方ない気がします」
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佐藤が繰り返す「致し方ない」という言葉。
競争相手として、これは実に率直な言葉である。
同時に、いま世間を取り巻く空気もこれに近いのではないだろうか。
新聞記者や雑誌編集者の分析によると、藤井聡太ブームのピークは初タイトルである棋聖獲得から竜王(四冠)獲得あたりだった。竜王獲得後は、藤井関連の記事のPV数も減少傾向にあるという。最大の難敵であった豊島将之九段を圧倒し、「勝つのが当たり前になった」ため、藤井がタイトルを増やしても驚かれなくなったのだ。
八冠制覇に関しても、偉業ではあるものの、もはや藤井が達成しても驚く人は少ないだろう。
先ほどの「致し方ない」という発言に続いて、佐藤は「昔、羽生さんが七冠制覇をしたときに、森下卓九段が『これは棋士として屈辱以外の何物でもない』ということを発しましたけど、佐藤九段にそういう気持ちはありますか?」という質問に対しては、こう答えている。
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「勝負師的な面と芸術家的な面の配分というか、その人の性格はあると思うんですけど、自分にそういう気持ちはありません」
「最初にお話ししたように、自分は勝敗以外にも新しい価値観などを見せられると、やっぱり面白いと思いますし、そこに惹かれます」
「自分は藤井さんが四段の頃に対戦しています。当時、私は名人でしたけど、自分の実力が断然上などは微塵も思いませんでした」
「当時は彼の実力に地位というか肩書きが見合ってない状況で、自分としてはちょっと居心地の悪さを感じていました。だからそれが追いついてきたいまのほうがむしろスッキリしています」
「藤井さんに八冠になってほしくないとは思わなくて、もし八冠になればこちらは挑戦する立場で指せる」
「だから質問の答えとはズレてるかもしれませんけど、忸怩たる思いなどという感想は自分にはないんです」
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佐藤のこの発言は、むしろ八冠になってくれたほうが藤井と戦いやすいとも読むことができる。
羽生が七冠制覇から半年足らずで失冠し、約1年で四冠まで後退した「からくり」は、もしかしたらこのあたりにあるのかもしれない。
ここまで、藤井と対峙する際の精神的な面から、八冠制覇の「からくり」を探ってきた。
では盤上技術の面では、藤井はどのように他の棋士と違うのか?
佐藤は、渡辺と藤井が激突した名人戦第1局の解説で、両者の違いを実に見事に総括している。(『将棋世界』2023年6月号)
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「これまで渡辺名人は、昭和の大棋士や羽生世代に対して盤上の数学的な解を求める姿勢がいちばん大事なのではなく『玉が堅ければ最後は相手が間違える』『これは必然の逆転勝ちでしょ』みたいなオルタナティブな姿勢を突きつけてきました」
「ところが令和に入って、盤上の数学的な解を追い求め、完璧な答えを出す藤井竜王が現れて、自身の戦い方に根源的な問いを突きつけられている。それが如実に表れているのが本局だったと思います」
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藤井は「羽生世代のように盤上の数学的な解を求める」ことに加えて「完璧な答えを出す」ことができる。
だから渡辺をはじめ、他の棋士たちを圧倒できた・・・・・・これは結論としては実にわかりやすい。
藤井と渡辺の違いについては、たとえば『将棋世界』2023年11月号で井田明宏四段がこのような発言をしている。
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●井田さんは、藤井七冠が棋聖を初めて獲得した第4局の記録を務めていました。2020年の7月なので、井田さんが四段になる9ヵ月前ですが、印象に残っていることはありますか?
「両対局者の感覚がかなり違っていた部分が印象に残っています。私も含めてほとんどの人は渡辺先生(明九段)側の考え方だと思ったんですけど、藤井七冠の感想も聞いて普通ではなかったというか、人間離れしていると感じました。すごさを目の当たりにしましたよね」
●井田さんから見た藤井七冠のすごさは?
「序盤や終盤ももちろんそうなんですけど、事前研究から外れた中盤の強さです。終盤は5通りくらいあったら1通りがいい手になることが多いので、とてつもなく難しい局面ではない限りはいい手も選びやすい。ただ中盤は候補手も多くて、どれもめちゃくちゃ悪くなるわけではないので、正しい手を選ぶのが難しい」
「でも藤井七冠はその選び方が正確なんです。最善手と次善手の間がAIで100点も離れていないと感じるときに、藤井七冠はそれぐらいの微妙な差でも正しいほうを選べます」
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井田は関西奨励会で藤井の少し先輩に当たり、6~7局ほど指しているという。最初は井田が香落ちの上手を持ち、最終的には下手を持つようにもなった。
渡辺のように、藤井がプロになって初めて接したような間柄ではなかったはずだが、それでも棋聖獲得時の藤井を見て「普通ではなかった」「人間離れしている」と驚いている。
人間離れ。
藤井を語る際によく用いられるフレーズでもある。
この点について私は自分なりに理由を探ろうとした。
たとえば藤井本人にインタビューして『脳内将棋盤がない』という衝撃の事実を知った。
またたとえば将棋ソフト開発者にインタビューして『自分でパソコンを組み立てて強いソフトを使う利点』や『GPUを使用するディープラーニング系の将棋ソフトをいち早く取り入れたことの利点』についても知ることができた。
「藤井は能力的に人間離れしている」
「最新のパソコンとAIを使うことでこれまで人間が積み上げてきた将棋観とは別の将棋観を身に付けている」
確かにこれらは、藤井が他の棋士たちと「違う」ことを示す証拠にはなるだろう。
このわかりやすさから一時期、藤井の圧倒的な強さをAIと絡めて説明することが一種のブームのようになったことがある。「AI超え」なる言葉も生まれ、私自身、そういった記事をいくつも書いた。
だが・・・・・・そういった記事を書けば書くほど、真実から離れていくような感触もあった。
先の佐藤の解説には続きがある。
名人戦第1局の最終盤で藤井が指した一連の手順についてのものだ。(『将棋世界』2023年6月号。詳しい手順の説明については省いたので、記事全文を参照していただきたい)
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「ただ藤井竜王の勝ち方に関しては、もしかしたら議論の余地があるかもしれません」
「93手目の☗5四馬という局面がありますよね。ここでは後手の勝ち方はいろいろあって、1つは☖6三銀と手厚く受ける。これはプロなら誰でも考えるし、ほぼ絶対に負けない指し方なんですよね」
「もう1つは☖3五桂と打って先手を縛る手です」
「この☖6三銀と☖3五桂の評価値をソフトで見たら、後手がプラス1700点くらいなんです」
「本譜、藤井竜王が指した☖4八金は後手がプラス850点ぐらいで、形勢がいいのは変わらないんですけど少し下がるんですよね」
「これはかなり不思議な手順です。実戦の☗4八飛に対する☖5三銀打も、棋士の生理的には指し難い手です。(略)銀が斜めにダブってるので、☖5三銀打はセオリー的にもあまりいい形じゃない。でも藤井竜王はこれを選んだわけで、彼の将棋の語り口は我々とは相当違うんですよ」
「何が言いたいかというと、この藤井竜王の勝ち方というのは、いま他の棋士にはない語り口なんです。同じ業界の上位プロからも、直感的には理解されないような表現を使っている」
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佐藤が抱く、藤井将棋への違和感。
そのことを別の視点から表現した記事がある。
観戦記者の上地隆蔵さんは関西奨励会に在籍した経験を持つが、毎日新聞に寄稿した文章で、こう記している。(2023年6月29日朝刊)
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他の棋士からある程度の理屈は教えてもらっていた。しかし改めて本人の口から聞きたかった。1対1で向かい合って話をするのは初めてだった。
「これは☗4五桂と跳ねるために間合いを計っているんでしょうか?」
「う~ん、そうとも言い切れないんです」
かみ合わないやり取りが何度か続いた。大筋を確認するような質問も「いや、う~ん」とやんわり否定。次第に焦ってきた。藤井名人も要領を得ない筆者にもどかしそうだった。
すれ違いのまま、取材は終わった。かすかに覚えているのは「玉の動きは偶数手と奇数手があって・・・・・・」という断片的な言葉。
将棋に対して、藤井名人は純真。対戦相手が誰であろうと、人に左右されず、いつも盤上真理と向き合っている。指し手からある意味で人間臭さが消えている希代の棋士だと思う。
その論理的思考を分かりやすく読者に伝えたい。そう意気込んで臨んだが、あえなく砕け散った。将棋を指したわけではないのに完敗した気分だった。
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上地さんがこの取材を行ったのは、藤井が名人に挑戦する直前の今年3月。A級順位戦最終局のことだ。
その直後に行われた名人戦第1局で、上地さんは毎日新聞側の観戦記を担当していた。私も毎日新聞に呼ばれて検討室をウロチョロしていて、初対面の上地さんから色々と貴重なお話をうかがった。
1日目が終わったあと、夕食の席で上地さんが漏らした言葉が忘れられない。
「将棋の記事を書くのは苦しい」
そのときは「上地さんほどの書き手が何を・・・・・・」と思ったが、上記の藤井とのやり取りで受けたダメージが尾を引いていたのかもしれない。
上地さんだけではない。棋士だけではなく記者も、これから何度も藤井を相手に「完敗した気分」を味わうことになるだろう。
全冠制覇が成された以上、これからはタイトル戦の観戦記を引き受けるということは、藤井の将棋について書くということと同義になるのだから。
藤井が自ら組み立てた高性能のパソコンを使っていることや、ディープラーニング系の最新AIを用いることの利点が盛んに喧伝されたことで、他の棋士たちもそれらを導入しはじめた。
たとえば渡辺は将棋AI開発者に依頼してパソコンを購入し、ソフトのインストール・設定・使い方などのレクチャーも受けた。
他にも「公式戦以外、人間とは将棋を指さない」と公言するプロ棋士もいる。
さらに現在は『棋神アナリティクス』という、サブスク形式で手軽に最強AIを研究に使える環境も整った。高価なパーツを買って自分でパソコンを組み立てなくても、複雑な手順でソフトをインストールしなくても、スマホがあればAIが答えを教えてくれるのだ。
プロ棋士も観戦記者も、これらのツールを使って藤井の将棋を解析・研究している。
藤井との共通言語を得たはず・・・・・・だった。
なのになぜ、こうも藤井と話が噛み合わないのか?
名人戦第1局の最終盤。
私は検討室で棋士たちのやり取りを見て、それを記録していた。(毎日新聞デジタル掲載)
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渡辺名人の手番。残り4分。5四馬と指す。即座に藤井王将も4八金。
「金を打った?」
いつのまにか20時を過ぎている。
一転して藤井王将が自陣に駒を埋め始めた。「かたい」「がっちがち」「冷たくないですかこの人?」
さらに藤井王将は5二銀。持ち駒をどんどん埋めていく。渡辺名人の肩が異様なまでに上がる。
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藤井が金を打ったときの意外そうな声。その金打ちを藤井はノータイムで指している。
先ほど佐藤が言及していた「語り口の違う勝ち方」。
なぜ藤井は「プロなら誰でも考えるし、ほぼ絶対に負けない」手順を選ばなかったのか?
中盤の難しい局面でも、僅かな評価値の差でも正しいほうを選べる藤井が。
それを指すことで、藤井の評価値は半分も下がるというのに・・・・・・。
藤井将棋とAIとを安易に結びつける言説の限界がここにある。
仮に、藤井の指し手とAIの指し手の一致だけに目を向けるのであれば、藤井が名人戦の終盤で指した「不思議な手順」は、ただ放置されていたはずだ。
しかし実際に藤井はそうした手を選ぶことでタイトルの数を増やし、タイトル戦を17回もやって1回も負けないまま八冠制覇を成し遂げた。
ではなぜ、藤井聡太は八冠制覇できたのか?
その「からくり」について書くことは、私にはできない。現時点では「わからない」と書くしかない。
逆説的ではあるが、むしろそれがわからないからこそ、全冠制覇を誰も止められなかったのではないか・・・・・・。
それでは今回もまた、羽生の時と同じように謎は残されたままになるのだろうか?
八冠制覇を「致し方ない」と言った佐藤は、しかし自分たちとは違う表現で将棋を語る藤井聡太という存在について、決然とこう語るのだ。
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「だからこそ僕たちは『違和感のある勝ち方』という一言で片づけてはいけない」
「もしかしたら後世から見たら、『何で当時の人はこの勝ち方に違和感を持ったんでしょうね』と疑問に思われる可能性だってある。だから本譜の勝ち方に疑問を抱いた僕も自己批判をしないといけないと思っています」
「藤井竜王のようにすさまじく高い能力を持った人というのは、最終的に孤独になる運命は避けられない」
「といって私たち第三者が、『もう君のことは理解できないから勝手にその辺りにいてよ』みたいに突き放すのは批評家としての義務を放棄しています。こちらも一生懸命理解しようと近づいていく努力をしなければいけない」
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この気高い決意の他に、いったい何が、藤井聡太の孤独を埋めうるだろう?
ただいたずらに闘志をぶつけるのではなく、相手を認めたうえで、理解しようとする。それこそが、盤上に人生を捧げた「棋士」という者の生き様なのだ。格闘技とも、スポーツとも違う、将棋という伝統芸能と最新の頭脳競技の両面を併せ持つ遊戯の魅力なのだ。
なぜ藤井聡太は八冠制覇できたのか?
それを解き明かすことができるのは、やはり、藤井と戦う相手だけなのだ。
そして私たちファンがプロ棋士たちの言葉を直接聞くことができない以上、「からくり」に迫る言葉を棋士たちから引き出すことができるのは、後藤さんや上地さんのような将棋界に生きる記者たちだけなのだ。
その記者たちもまた、藤井の論理的思考を私たち読者にわかりやすく伝えようと、戦い続けている。将棋を指したわけでもないのに完敗した気分を味わいながら。
だからこの文章を読んでモヤモヤした方々は、ぜひ『将棋世界』を読んでほしいし、読売や朝日や毎日や産経や中日といった新聞の将棋欄を読んでほしい。
そこには、対局室に出入りすることを許された記者だけが書くことのできる、貴重な言葉が溢れている。
羽生七冠の時は謎が残ってしまったかもしれない。
しかし今回はきっと、ズバッと切り込んでくれるはずだ。
将棋ジャーナリズムってやつがさぁ!
読んでいただきありがとうございました。
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